日光・宇都宮放浪 '20 (6)
…慶応4年(1868)4月16日から17日にかけて、奥州街道(日光街道)の小山で新政府軍に勝利した旧幕府軍は、日光西街道を北上して壬生を通過する事を認めるよう、壬生藩に要請する。
しかし、混乱を恐れた壬生藩はこれを拒絶、旧幕府軍は間道を通る羽目になり、鹿沼へ迂回して宇都宮に入り、落城させた。
その後、宇都宮を救援するために派遣された一隊は、古河を出立してから宇都宮落城の報を聞く。
さらに小山で、宇都宮を落とした旧幕府軍が壬生に迫っていると聞かされる。
救援隊の隊長、因州藩河田佐久馬は進路を変更、壬生に向けて北上を開始する。
4月20日、河田隊は壬生に入城する。
旧幕府軍は拒否し、新政府軍の入城は許可した壬生藩の行動を宇都宮で伝え聞いた大鳥圭介は、軍を率いて宇都宮から南下、壬生城から北上した新政府軍と4月22日夜、壬生の北にある安塚で戦闘を開始する。
この戦いに勝利した新政府軍はさらに北上、六道口から宇都宮城下に入り、宇都宮市街戦が始まる。
※‘19日光・宇都宮放浪(4)(5)参照。
この後、新政府軍は宇都宮を奪還し、旧幕府軍は会津に向けて敗走を始める。
従って、安塚で新政府軍が勝利した事は、戦いの流れを大きく変える契機になった事は間違い無いだろう。