日光・宇都宮放浪 '20 (5)

…壬生城は、文明年間に壬生胤重によって築かれたのが始まりとされる。

 

その後壬生氏は、秀吉の小田原征討の時に北条氏に味方していたため、天正18年に滅亡する。

 

この年に結城秀康が入城して以来、日根野氏→阿部氏→三浦氏→松平氏→加藤氏と城主が変わったが、正徳2年(1712)に鳥居忠英が近江国から移り、明治維新まで続く。

 

案内板。

 

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現在の堀と土塁。

 

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跡地は、城址公園として整備されている。

 

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壬生城は天守も櫓も無かったので、本丸は平坦で広い。

 

敷地内に歴史資料館もあるが、時間が無いので今回は見送り。

 

公園の隣に、精忠神社が鎮座する。

 

最後の城主、鳥居氏の先祖である鳥居元忠を祀っている。

 

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鳥居から、長い参道を歩く。

 

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途中にある、梅。

 

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精忠神社。

 

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鳥居元忠徳川家康三河時代からの家臣で、譜代中の譜代。

 

関ヶ原前夜、石田三成に守っていた伏見城を攻撃され、城と共に果てた。

 

これが、家康に三成討伐の大義名分を与え、やがて関ヶ原で勝利を得る事になる。

 

いわば、自らを犠牲にして家康に天下を取らせた『忠臣』と言われる。

 

京都に行くと、この時の戦いで落城した伏見城の血に染まった床板を天井に使用した『血天井』が、複数の寺にある。

 

次回は、戊辰戦争時の壬生藩について書く事にする…。