'18 日光・高崎放浪記 (7)

…以下は、私見

 

山田かまち(1960~1977)の作品を見ていると、彼がいつも『本質』を見極めようと苦悩・苦心していた事を、強く感じる。

 

絵画に見る、鋭い観察眼。

 

詩文に感じる、強い言葉。

 

彼が夢中になった、音楽。

 

どれについても深く理解しようという、ある種の『執念』を感じる。

 

その過程で、彼は様々な方法で、『表現』していった。

 

彼は感じた事を、表に出すという作業をしなければいられなかったのだろう。

 

彼は、十七歳ですでに『表現者』だったのだと思う。

 

『かまち、お前は…』で始まる、彼が最後に残した文章が、僕の心に強く響いている。

 

僕には彼の決意表明、或いは、自らへの檄文のように思う。

 

八月は、彼の命日月。

 

その頃に、また高崎に行こう。

 

この絵を、一度観てみたいのだ。

 

f:id:ns4424:20180605054115j:plain

 

山田かまちは、何者でもなく、『山田かまち』なのだと思う…。